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 映像の無い放送劇用の台本の場合もっとも神経を使うのは、登場人物のキャラクターの設定だ。アニメーションにしろ実写にそろ、映像があればキャラクターのイメージは見る者に即伝わる。が、無い場合は声の違い、語り方の違いから聞く者にイメージしてもらわなければならない。もちろん動きもない。そこで声優さんの声の質の違いに頼ることは大きいが、それよりも先に登場人物の性格や心理をしっかり把握していなければならない。その上で選択するセリフのニュアンス、言葉も違ってくる。
 次に悩まされるのがシーンの設定と場面展開だ。音と効果音、音楽だけでシーンや場面転換を理解してもらわなければならないからだ。シナリオの場合は人物の表情、行動、シーンの場所や情景をト書きとして書き込むことができる。それらを書き込めないのが放送劇用の台本で、代わりにセリフで補わなければならない。まず放送劇用台本から例をあげて較べてみる。

□洞窟の中
S E 水滴の滴る音
ポーラ「(上)同じユーロ人なのに、あなたはエメラルド・アース軍、
    私は、科学者・・・皮肉ね」
ヤ ン「(下)母なる星を奪われた人間の辿る悲劇的な運命・・・かな」
ポーラ「(上)私をどうするつもり?」
ヤ ン「(下)逃げようなどと詰まらん気を起こさなければ、どうもしないさ」
S E 水滴の音ーーーしばし沈黙

 これをシナリオ風に書くと次のようになる。

□狭い洞窟の中
薄暗く、かすかに日の差し込む中、
捕らわれの身のポーラが警戒するように隅に座り込んでいる。
特に気にせず、外を見つめている軍服姿のヤン。
ポーラ「(寂しげに)同じユーロ人なのに、あなたと私は・・・皮肉ね」
ヤ ン「母なる星を奪われた人間の辿る悲劇的な運命・・・かな」
    と、ポーラを振り返る。
    ポーラ、警戒する目で後ずさる。
ヤ ン「心配するな。変な気起こさなきゃどうもしないさ」
    ポーラの眼前に水滴がしたたる。
    二人、しばし無言で見つめ合う。

 このようにシナリオの方が情景描写をより細かく表現することができる。このことから、放送劇用台本での声優さんの役割がいかに影響するか、その力量が問われるということにも繋がってくることになる。

 つい先頃、長寿人気アニメ番組“ルパン三世”で怪盗ルパンを追いかけ回す銭形警部の声を長年担当した納谷吾朗さんの訃報を新聞でしった(三月五日死去、享年83)。それに関わる新聞記事の一部を紹介する。「数多くのアニメに加え、クラーク・ゲーブル、チャールトン・ヘストン、ジョン・ウエインらハリウッドスターの吹き替えも担当したが、“声優”と呼ばれることを嫌った。あくまでも本業は“生の舞台”。俳優、演出家として数多くの舞台を経験してきた納谷さんは、声優志望者にはまず舞台で演技を磨く必要性を力説した。見る者を感動させたり納得させたりする声を出すには“芝居がきちんとできることが前提”という信念があった」。

 余談になるが更に話すと、“ルパン三世”の放送前のパイロット版(試験版)では、納谷さんはセリフが少ない石川五右衛門の役だったが、ルパン役の山田康雄さんとの仲の良さに着目したディレクターの発案で銭形役に抜擢されたそうだ。これに対して納谷さんは銭形警部をおっちょこちょいの三枚目で、せわしないというキャラクターに見立て、地声でない独特のダミ声で巧みに演じた。銭形のことを“とっつあん”と呼ぶ愛称は“ルパンは銭形がいて初めて成立するキャラ”と納谷さんに全幅の信頼を置いた山田さんがアドリブで呼んだのが始まりだそうだ(三月十五日、東京新聞)。このように声優さんの存在はただ“声”のみではないことがわかる。

 また、この“コンディショングリーン”にも出演し“機動戦士ガンダム”のギレン・ザビの声でも知られる銀河万丈さんは、東京都内で“ごんべい”という小規模な朗読会をもう十年間も毎月続けているそうだが、
その十周年記念公演を昨年十一月に行った。そのさいのインタビューの中で「ラジオドラマは聞く人がその世界に飛び込んでいく気がする。映像で強制的に押し付けられるよりもずっと強いイメージが意識の中に入り込んでくる。きっとその中に、それぞれが好きな人や親、友達の顔を思い浮かべているんでしょう。イメージの広がりが自由だから楽しい」(平成25年2月、東京新聞)と語っていた。僕もその通りだと思う。

 しかし、このCDは売り上げが伸びなかった。作品に魅力が無かったとは思えない。1960年代くらいまではラジオ各局が競うようにドラマを放送していた。それがテレビ時代になり、ビデオ、DVD全盛時代となり、人々は映像の無い音だけのドラマの世界からイメージを楽しむことなど価値が無いと思っているのだろうか。目に余る“ことば、言語”の乱れとともに嘆かわしいことである。