meijido_logo2b.png

title_column_araki.png

0061

 日本アニメーション制作のテレビ番組はどのシリーズも一年間、50回前後続く長編作品である。〝赤毛のアン〟もしかりで、確か51話か2話まであったと思う。それを途中から参加することになった僕が、振り返るまでもなく最も後悔したことが二つある。一つは恥ずかしながら僕が勉強不足だったこと。もう一つは僕が参加する回までのテレビ作品を全て見るか、少なくてもシナリオに目を通して全体の流れ、世界観を完全に近い状態で把握すべきだったことだ。
 アニメーションのテレビシリーズには、〝巨人の星〟〝あしたのジョー〟〝ひみつのアッコちゃん〟〝はじめ人間ギャートルズ〟〝ルパン三世〟など、一年どころか数年続いた番組が過去にはたくさんある。しかし、その構成の仕方には大きく分けて二通りある。全シリーズが一貫して形成されているものと、一話か前後編の二話位で完結する単発連続形式のもの。そして僕が参加してきた作品は全て後者の形式だったから、途中からの参加でも作業に大きな支障は感じなかった。

 しかし、〝赤毛のアン〟はほぼ完全な連続形式である。時として一つのエピソードに終わる回があったとしても、主人公アンの成長を軸にした微妙な少女心の交錯が軸である。もちろん原作はあるのだが、アンの幼少時代とか年代によっていくつかの章に分かれ、数冊の本が出されていた。なのに恥ずかしながら僕はその全てを読んではいなかった。僕が参加したのは確か34話だったと思うが、それ以降は僕の持っている本の範囲だったので、後から思えば無謀ともいえるのだが〝出来ないことにも積極的に挑戦したい〟思いから、作業に参加してしまった。そして最終回(前後編)、マシュウの死まで確か9本を担当したと思う

 作業は物理的にも精神的にも思った以上に苦しかった。まず、次の担当する回を原作のページによって割り振られ、そこから一話分の構成としてシナリオ(第一稿)に書きあげるのだが、そこで僕の考えがいかに甘く無責任ともいえるものだったことを思い知らされた。後悔したことの二つ目、それ以前のテレビ作品はおろかシナリオすら完全に把握していなかったことが大きくのしかかってきたのだ。原作に書かれているエピソードは理解できても、主人公のアンはもちろんそれぞれのキャラクターを生き生きと、のびのびと動かせないのだ。関わった作品の中で前にも後にも唯一失態と言える状態だった。

 時間的にも作業はハードだった。何とか書き上げた第一稿を渡し、直しの打ち合わせに入るわけだが、なにしろ高畑監督以下スタッフ全員日本アニメーション(聖蹟桜が丘)に泊まり込みで作業をしているから、外に出る時間がない。そこで高畑氏の都合が取れるわずかな時間に合わせ、僕が同社に出向くのだ。それが何日の何時になるかわからない。その日の午後になることもあれば深夜の二時、三時になることもある。打ち合わせの時間から逆算して若いスタッフが僕の家に車で迎えに来てくれるのだ。僕もまだ若かったし、過去にも四日で二時間ドラマを書いたことも一度ならずあったから時間的、肉体的なハードは苦痛にならなかった。やはり最大の後悔は〝失態〟である。

 それでも、分担された一話一話を当時の状況の中で精一杯書き続けるしかなかった。もしかしたらアンの世界にもっと通じたライターがいたら僕と交替したいと中島プロデユーサーは思ったかもしれない。一瞬僕はそう考えたことがある。しかし時間的現実の中でそれは難しかったのだろう。方法は一つ、最終的な段階で高畑監督が僕のシナリオに手を入れる。これしかなかったのだと思う。結果、放映された時のタイトルが高畑氏と共同脚本になっていた回が数本あったのはこのためである。

 中でも最も苦しんだのは最終回前後編の二本だった。マシューの死と直面したアンの心境をいかに深く描けるかであった。楽しい思いで、辛い思いでなどを回想で振り返らせたかったのだが、僕が関わるまでの前半三分の二近い作品の映像を把握しきれていなかったことが大きな失態となってのしかかかってきたのだ。何を振り返り、どう説明しても言い訳にしかすぎない。二度と繰り返してはならない失態である。高畑氏はじめスタッフの方に多大なご迷惑をおかけしたこと、心からお詫びしたいと思っています。