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 もう一つの貴重な体験も、讀売テレビ製作の連続テレビドラマ(一時間枠)だった。でもこれは原案・山田太一、脚本・荒木芳久とクレジット・タイトルに明記されたからゴーストではなく代理ライターということになる。この作品は原作・脚本を大御所の一人である山田太一氏が手がける十数回のシリーズものなのだが、同氏が体調を壊されたことで急きょ一話分だけ代理に書いてもらえる人を探しているというのだ。“新車の中の女”終了後に紹介された同社の荻野慶人プロデューサーから依頼された仕事である。僕にしてみれば雲上人ともいえる山田氏の作品のお手伝いなどと正直返事に困ったが、「気さくな方だし、何かの役にも立つから」と荻野氏に後押しされ、スケジュールが押していることもあり、とにかく山田氏と会うことになった。ところが、この仕事を通じて僕は二度も大失態をやらかすことになってしまった。
 一度目は山田氏との初対面の日である。ドラマのテーマでもあり舞台にもなる大型スーパーを取材したいという山田氏に同行しようと荻野氏から誘われ、渋谷の喫茶店で待ち合わせることになった。その前日の夕方「初稿の直しの打ち合わせをしたい」とアニメのプロデューサーから連絡が入り、時間的には大丈夫だろうと踏んだ僕はOKした。荻野氏との約束の時間を気にしながらも直しの打ち合わせを無事に済ませ、僕は渋谷に向かった。初めて行く喫茶店の場所を道々聞きながら到着すると、十分ほど時間を過ぎていた。一瞬凍るような悪寒が走り、見回した店内に二人の姿はなかった。尋ねたレジ係りから渡されたメモにはこう書かれていた。“あなたは僕をバカにしているんですか、山田。先に行きます、後で連絡します、荻野”。僕は目の前が真っ暗になった。この時の、頭から氷片を掛けられたような気持ちは今でも鮮明に思い出す。

 当時、私鉄の沿線に大型スーパーが進出し始めた頃で、地元の個人経営商店街とのトラブルが社会問題となりだした頃だった。このドラマ“今はバラ色が好き”は、それを題材にしたものである。新しく開店する大型スーパーの店長(近藤正臣)として赴任する朝の電車の中で、地元の老舗茶屋の娘(松坂慶子)に痴漢と間違われるというユニークなオープニングから始まり、商店街との対立を軸にスーパーで働くことになる地元出身のパートさん達もまじへ  さまざまな人間模様が展開する。その後山田氏の体調は回復に向かいつつあるとのことだが、結局僕は山田氏と一度も会うことの無いまま作業に入ることになった。第一話から四話までの決定稿を荻野氏から渡され、僕の担当は確か第七話だったと思う。「待ち合わせの件は忘れて頑張って」と荻野氏から励まされたが、僕の心境は複雑だった。

 僕は二日ほど悩んだが、結果として奮起するしかないと気持ちを切り替えた。第七話の内容について、山田氏が書き留めてくれた数行のメモを渡されたから。“スーパーの店内で誰かが何らかの方法で嫌がらせをしてトラブルを起こす”という、たったそれだけだったが。いろいろ考えた末、レジ係り同士のいがみあいから、一人がレジスターに細工して故障させ店内が混乱するという話にした。ラスト近くのシーンで、年輩の店員と店長の重厚なセリフを山田氏が書き足してくれ、作業は無事終了した。さすが、その会話には人生の重みとドラマの厚みを感じさせられた。それにしても“新車の中の女”と同様先の全く分からない状況での作業というものは予想以上の難題だったが、この二つの体験は僕に思わぬ勇気と挑戦欲を植え付けてくれ、以降の作業の大きな礎になったことは確かだ。

 何より嬉しかったのは、番組終了の打ち上げパーティーの席で山田氏が一本だけだが僕に代理を頼んだ理由と、ゆっくり打ち合わせもできないまま僕に苦労をかけたと皆に紹介してくれたことだった。僕は約束に遅れた理由と無礼を一言も口にできず、ただ頭が下がり、感激した。が、二度目の失態はこの席で近藤正臣氏を紹介され、彼のマネージャーでありプロダクションの社長から執筆を依頼されたことにある。東芝日曜劇場向けの一時間枠単発ドラマの脚本だ。交通事故で夫を亡くした新妻が、ディスクジョッキー(近藤氏)の声が夫のそれと酷似していることから夫は生きていると信じ込み、毎日その番組を聞きながら生きていく姿を感動的に描いて欲しい。と内容まで指定された。良し何としても素晴らしい脚本をと意気込み、僕は机にむかった。ところが何度書き直しても気に入らず、いたずらに時が経つばかり。そしてこの題材は僕には無理だとやっと気がつき別の題材を提示しようかと思った時には約束の日を大幅に過ぎており、今更それも出来ないと尻込んでしまった。結果おおきに怒りをかい不義理に終わってしまった。この時を機に、言うべき事主張すべき事は例え恥をかいてもはっきり相手に伝えるべきであることを改めて自覚した。後にも先にもこの二度だけの体験である。