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 また、一人の友人の訃報に接した。新聞記事である。大学(日大芸術学部)時代の同級生で五人の親友仲間の一人、磯野理君。“シナリオ金曜会(略してシナ金と呼んでいた)”と言う部活のメンバーでもあり、卒業後一緒に仕事もさせて貰った男である。彼の父親が当時の東宝映画の重役であり、彼も卒業後東宝でプロデューサーの仕事に就いた。彼が僕に声を掛け一緒に仕事をさせて貰った作品は、地方を巡業する競輪選手を主人公(萩原健一、通称ショーケン)にした連続テレビ映画“祭りばやしが聞こえる”(1時間1話完結形式)だった。彼との仕事はこのシリーズだけとなった。

 以来、僕の仕事がアニメーション中心になったこともあったし、彼自身仕事に恵まれなかったことも理由の一つといえるかもしれない。それに彼は自分が手がけたい作品に結構かたくななこだわりがあり、たんなるエンターテイメントのものには手を出したがらなかった。我がままと言うより不器用だったといえる。彼が手がけた作品には、積木くずし(映画)、天平の甍(映画)、傷だらけの天使(ドラマ)などがある。当初は大学時代の仲間との飲み会などで何度か顔を会わせたが、実写とアニメ機能業界の違いも手伝ってか、疎遠になってしまった。飲み会で会った時は必ずと言っていいほど映画談義に朝まで飲み明かしたものだ。振り返ってみればそれこそ何十年も顔を合わせていないのだが、新聞で訃報を知った時にはがく然となった。そして当時の事が昨日のことのように思い起こされ、僕は数日訳も無く酒に浸った。それだけ彼には深い印象があったのだ。

 その一つは、当時の五人の仲間の内映画、テレビを問わず“ドラマ”の世界で生きてきたのは彼と撲だけだったことにあるといえよう。こおいう世界で仕事をしている人間にとって、同じ仕事に関わらない限り思いのほか顔を合わすチャンスがないのである。お互い時間には不規則だし共有する時間がとれないのだ。そればかりでなく普通のサラリーマンになった友人とでさえ思うようには会えなかった。相手は退社時間になれば自由だが僕の場合は突然直しの打ち合わせが入ったりすることがある。特に高校時代の友人のAさんの場合はひどかった。何故か彼と飲む約束をした日に限って僕に急な直しの打ち合わせが入ったのだ。初めは仕事だから仕方ないよと言っていた彼も、本当は僕が彼を避けているのだと何時からか思うようになり会わなくなってしまった。

 僕がプロになり始めた頃、「この仕事は親や家族の不幸にも会えない時があると覚悟しておくもの」と言われたものだ。それでも、家が主な仕事場である僕たちシナリオライターの場合はまだいい。プロデューサーや監督、俳優など現場にいる人達にとっては、限られたスケジュールに捕らわれプライベートは二の次になってしまうのだ。そうした思いもあり、僕と磯野君にとっては例え何年会わなくても理屈ではない繋がりがあるといえる。間違えなく僕はそうであり、もし死の直前に会っていたら磯野君も同じ思いだったと思う。一緒に“ガンダム”をはじめ多くの番組を手がけてきた星山博之君の訃報に接した時はさらにその思いが強かった。いずれ作品を通じて触れることになるが、アニメの監督佐々木勝利氏(撲より若い享年)の訃報の時も同じだった。

 そして磯野君にはもっと深い思いがある。それは、シナ金で彼と活動を共にしていた時に聞いた彼の言葉に共感したことである。「人間てさ、自分のために何かするより、他人のために何かする事の方が生き甲斐を感じるものだと思うよ」と何気なく呟いた彼の言葉が、その時撲の胸を強く打った。そして、それまで僕の中でくすぶっていた何かがこの時フッと吹っ切れたと思ったのだ。実はそれまで明確に像を結ばなかった考えが、この言葉“他人のために何かする”で実像になったのだ。つまり僕も彼と全く同じ考えだったことを自覚したのだ。そしてこの言葉は以降の撲の創作活動の礎となった。

 人間はえてして自分を大事にしたがる。それを頭から悪い、間違っているとはいわない。仕事、体を大切に守るのは他人ではなく自分である。しかし、家族のために何かする、守るとなればこれは自分以外の人のために何かすることになる。そして家族にとどまらず生存中に自分と関わる人達へと広がる。生涯自分のためにだけを考えるとすれば、これはエゴであり自己中心と言えよう。悲しいがスケールの小さい人間で終わってしまうことになる。一人でも多くの他人を喜ばせ、楽しませ、感動させることへの思いが、僕とシナリオを固く結びつけた絆といえる。そして今、改めて磯野君の言葉を思い返し噛みしめている。