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 このコラムも今回で40回、連載予定回数の半分、マラソンでいえば折り返し地点ということになる。これまで僕が関わってきたアニメーション、実写作品など思い出すままに触れてきた。もちろんこれからも作品の数はさらに広がっていく。“ガンダム”については21話“激闘は憎しみ深く”(シナリオタイトル“憎しみの果てに”)まで振り返った。これも全放送回数の約半分で、この後僕は“科学冒険隊タンサー5”の作業が後半に入ることもあって掛かり切りとなり、“ガンダム”のシナリオ担当の量を減らしてもらった。なのでこの回ではそれまで僕が出会った“ガンダム”のキャラクター達のことに触れたいと思う。
 “ガンダム”は“戦争”という大きな社会現象を舞台にしているが、基盤はあくまでアムロの目で見た人と人とのコミュニケーションにあり、それによってアムロがどう変化、成長していくかを見つめることにある。だからアムロは多くの人達と出会っていく。レギュラー陣では連邦軍の士官候補生から優秀な指揮官として成長していくブライト・ノアをはじめマチルダ・アジャン、カイ・シデン、ハヤト・小林、リュウ・ホセ、ミライ・八洲、セイラ・マス、フラウボウなど、それぞれ個性の異なるキャラクターがアムロを取り巻いている。

 一方ジオン軍側ではアムロのライバルとも言えるシャア・アズナブル(実は企画の段階ではほんの脇キャラの予定だったが、何故か途中から強烈な存在として主役級に浮上した)、ランバ・ラル、ハモン・ラル、ガルマ・ザビ、デギン・ソド・ザビ、ギレン・ザビ、キシリア・ザビ、ドズル・ザビをはじめククルス・ドアン達とであってきた。彼らの中で僕が好きだったキャラクターは、連邦軍側ではカイ・シデンとリュウ・ホセ。カイ・シデンは口が悪く少々ひねくれた性格だが(地球に家がある人間をエリートと見てコンプレックスを持っているからか)逆にそれが人間臭く思えて、どこか自分の姿を投影しているようでもあり描きやすかったといえる。一方リュ・ホセは素朴な外見からも温厚な性格の大男で、ホワイト・ベースの縁の下の力持ち的な存在だが、いざという時の決断力と行動力はカイ・シデンとは対照的に男のロマンすら感じさせる存在で魅力があった。

 ジオン軍側ではデギン公王の四男ガルマ・ザビ。国民的英雄のプリンスとして何不自由なく育った坊ちゃんだが、人を疑うことを知らない素直さはなにか心温まる存在で好感がもてた。もう一人はたった一話しか登場しなかったククルス・ドアンだ。ジオン軍のやり方に疑問を感じ、脱走して追われる身となる。人間の醜さやエゴが渦巻く戦時下にあって人助けのために体を張ってぶつかっていく、出来そうでできない彼のいきざまに共感して筆にも力が入った。

 それにしても、アニメーションの声優さん達は大変な仕事だと思う。完成している洋画の吹き替えだと俳優の表情やアクションを見ながらセリフを言えるが(それでも大変な作業)、アニメーションの場合は画面が揃っているとは限らない。ぞくに“シロミ”と言ってスケジュールの都合上絵の無い画面でセリフにかかる秒数だけを頼りにセリフを言わなければならないことが結構ある。特に“ガンダム”の場合、一人一人性格の違うキャラクターの複雑で微妙な心理を訴えるのに表情も動きもない画面だけが相手だと大いに苦労すると思う。

 “ガンダム”でナレーションに加え登場人物の半分はこ なしてきた永井一郎氏がこんなことを言っていた。(概要)「役者とは一体何かということを明確に掴んだのは声優をやってから。舞台やって体を動かしている時は自分で掴め無かった。全細胞が一つの目的で動くことが役者の仕事。これを僕は“声”だけ発するよりしょうがない制約の中で発見しました。とは言っても舞台を経験しなければ全細胞が一つの目的で動くなんてことは無いものねだりになる。声優に必要な反射神経、場面場面のこなしなど対応できません」(アニメージュ・スペシャル、ロマンアルバム35から抜粋)と。

 なるほど、舞台経験も豊かな永井氏の説には僕も頷ける。いつの頃からか声優志望の若者達が増えている。それを教える学校もある。しかし声優志望の理由を聞いてみると、ただ「アニメが好きだから」と答えた人が少なくない。アニメの場合“ドラエモン”など現実から離れた特殊な声の持ち主が活躍する作品も多い。それはそれでいい。しかし“声だけでは声優は通用しない”という永井氏の説は僕もそのとうりと思う。声優志望の台頭する現代にあって、考えさせられることではある。