meijido_logo2b.png

title_column_araki.png

0031

 サンライズ社製作のテレビアニメーション“ザンボット3”、“ガンダム”をはじめ、その後も“ロボットもの”といわれる作品に数多く関わることになるが、一方で“少女もの”と呼ばれる作品にも数多く出会うことになる。テレビアニメーションとしての僕のデビュー作が“ひみつのアッコちゃん”だったことが、理由のひとつなのかもしれない、

 東京ムービーが製作した“新・エースをねらえ”もその一つだった。山本鈴美香原作のスポ根少女漫画である。日本テレビの吉川プロデューサーが企画(一話30分枠読み切り連続形式)し、同テレビ局の武井英彦プロデューサーが製作を担当した。脚本はアニメ界の大ベテラン藤川桂介氏と紅一点の杉江恵子さんと僕の三人が順に受け持った。高校テニス界の名門・西校テニス部。中でも“お蝶夫人”の異名をとる竜崎麗香はトップクラスの実力で、テニス大国の女王として君臨していた。新入生岡ひろみ(主人公)は親友愛川マキと共にテニス部に入部するが、青年コーチ宗方仁が何故か地区大会の選手にひろみを指名したことから、上級生の反発と嫉妬をかうことになる。ともすれば挫けそうになるひろみを何かと助ける男子部員の藤堂たち。スポ根青春群像漫画代表作の一つだ。

 実はこの作品の原点は山本女史原作の“エースをねらえ”で、1973年にテレビアニメとして放映されたものだが、視聴率不振を理由に打ち切られた。その後再放送で人気が高まったことから、今回リメイク版として製作、放映されることになったもの。こうしたいきさつがあっただけに、日本テレビの吉川、武井プロデューサーは勿論東京ムービーのスッタフ(小野田博之プロデューサー、岡崎稔チーフディレクター)も予想以上に力を入れていた。再放送で視聴率を挽回したのだから、三度目の放送となる今回は更に上回る数字(視聴率)を何としても確保したい、からである。従って、脚本を担当する僕たちにも当然のように大きなプレッシャーがかかってきた。

 こうした時に僕たちに与えられる課題、難しい問題は、山本女史の代表作の一つともいえる原作を土台にしていかにより面白く昇華させることができるかの作業といえるだろう。原作がある限り登場キャラクター、全体のストーリー展開は構築されている。勝手に分解、変更することは許されない。とはいえセリフから何から原作の丸写しだけではテレビ化する意味がない。そこで考えられることは登場人物たちの心情、ライフワークを掘り下げ、拡大することである。

 作業は原作にあるテーマ、エピソードを切れ目ごとに分け、三人のライターに割り振るところから始まった。コマ割り画で描かれた原作を元に30分枠(正味20数分)のシナリオにすることは簡単ではない。事実男の僕には高校生の少女のデリケートで複雑な心理を描くことは難しかった。娘は一人いるが、その時まだ小学校低学年で、とても乙女の心情を読み取る鏡にはならなかった。そんな時僕の救いになったのが、紅一点のライター杉江恵子さんの存在だった。

 彼女は当時まだライターとしてはキャリアの浅い新人だった。後に知ったことだが、実は女性の感性に期待して起用したものの不安があったのも確か、とプロデューサーの弁。しかしそんな心配を吹き飛ばすほど彼女の感性には素晴らしいものがあり、書くシナリオも僕より深みのある作品だったというのが本音。彼女には主人公ひろみと同じ位の娘さんが居られたこともあってか、登場する女子部員たちの姿を生き生きと描いてきた。残念ながら具体的なセリフについての記憶は薄いが嫉妬、ねたみ、悲しみ、苦しみ、喜びなど少女たちの微妙な心の揺れをみごとに捉え、描いてきた。

 小説の場合、登場人物の心理を文章で表現することから、行間の情を読み取ることが大事になる。漫画の場合は画とセリフ(吹き出し)からくみ取ることとなり、コマとコマの間がそれにあたる。杉江さんはみごとに
適確に捉えて表現していたと思う。お蔭で僕はこの年頃の少女たちがどんな事を考え、何に悩み、どんな夢に憧れるものなのか、ほんの少しながら垣間見ることができた気がして、その後の僕の作業に大きな影響を与えてくれたと思っている。

 彼女はその後も“ベルサイユのばら”(東京ムービー)、“家なき子”(東京ムービー)など少女アニメで活躍したが、数年後、その杉江さんの遺体が雪の溶けた草津の山中で発見されるという訃報に接して驚いた。将来を期待された才能の持ち主に一体何があったのか、真相は誰にもわからない。“新・エースをねらえ”は振り返ると複雑な思いの残る作品となった。