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 震災に伴う“買い占め”について、アンケートおよびインタビュー映像が放映されていた。それによると買い占めに走るのは7割強が主婦(年齢はさまざま)で、理由はほとんどの人が“思い込み”と答えていた。いつもなら山積みされているペットボトルやトイレットペーパーがスーパーやコンビニの店内から忽然と消えている光景を見て唖然となり、「これは大変なことが起きている」と思い込み買えるだけ買ったというのだ。理由は子供のため、家族のためがほとんど。ガソリンスタンドに車の列ができているのを見て慌てたというケースもある。「その時はあまり気にしなかったが、家に帰ったらテレビのニュースで伝えていたので慌てて買いに出た」人もかなりいた。いずれも事情を詳しく調べるのではなく、咄嗟の勝手な“思い込み”による行動と言っていた。一ヶ月余り過ぎた今、冷蔵庫や廊下に積まれた買い占め商品にうんざりして「買い戻してもらえるなら助かるのに」と後悔している声が増えているという。

 この“思い込み”というのは、人間関係にもさまざまなドラマを引き起こす。思い込みからくるスレ違い、感情のこずれ、果ては思わぬ悲劇にも発展する。僕がシナリオを書く場合でも、思い込みはいろいろな形でテーマになる。人の冷静さを欠く大きな原因の一つなのだ。映像の中で一つ分かったことは、子供の方が意外と冷静なのかなということ。家族のためにカップラーメンを沢山買い占める母親に、「電気も水もこないのにどうやって食べるの」と聞いたのは子供。母親は一瞬詰まり、確かにそう言われればと、買う量を減らしたそうだ。

 二つ目のテーマは逆に”思いやり”“助け合い”の心温まるドラマだ。甚大な被害に会いながらお互いに思いやり、助け合って立ち直ろうとしている現地の人達の姿は日毎に増している。そしてそれは現地だけに留まらず全国的に、世界的な規模に広がっている。その中で一つ感動したのは小学校六年生と四年生の姉妹のエピソード、宮城県での取材映像だ。救援物資の食べ物や飲み物が避難所まで届けられるが、そこから離れた高台にある高齢者の多い村までは、人手も足りずなかなか届けられない。それを知ったその姉妹が、誰に言われたのでもなく自分たちの意志で大量のおにぎりとペットボトルを背負い、毎日朝昼晩の三回届けているのだ。まだ小学生の、それも女の子にしては重すぎる重量の荷を毎日運んでいる姿には、痛々しさと共に思わず胸が熱くなった。しかも「学校が始まってもできる限り続けたい」と二人は行っていた。

 また、ボランティアとして体力を尽くして活動する現地の中、高生達の姿。苦境を体験したからこそ助け合って立ち直ろうとする、次代を担う若者が増えていることも知った。物質豊かで恵まれた生活に流され、ともすると他人のことに気遣う事を忘れ勝ちな現代である。こうした若者達こそ将来人間味溢れる逞しい大人に育ち、日本を支えてくれるに違いない。

 最近のニュースで、今回の災害で大きく変化した若者達のエピソードが伝えられていた。暴走族の解散式である。二十数年に渡って地元で天衣無縫に走り回っていた暴走族の集団が、震災による惨劇を目の当たりにして、「こんなことをやってる場合じゃない」と、愛車のバイクを全て役立てて欲しいと提出し、警察の立ちあいのもと解散式を行い、ボランティア活動に全力を尽くしているという。事実は小説より奇なりというが、まさにドラマや小説では追いつかない事実が、震災を機に日本中で起きている。それは、同じ苦境から長い年月をかけて立ち直ったばかりの、阪神淡路大震災の被災者達が経験を活かしてボランティア活動に協力している事実にも現れている。これから復興に向けて長く厳しい道のりが続くと思われるが、微力ながら僕の立場でできる限りの応援をしていきたいと思っているし、今後の創作活動への糧にしていきたいと考えている。