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 東北地方太平洋沖地震が発生してから一カ月が過ぎた。東京でも僕が生まれてから始めての大揺れ。その後も毎日のように続く余震の数も今迄にない経験だ。日ごとに判明してくる被害の規模も想像を遥かに超え、復興までの長く遠い道のりに心が痛む。そこで今回と次回のコラムでは僕の回想記は休み、今回の災害についてどうしても書き止めておきたい事について触れることにした。

 原発事故を含めた現地の状況や情報についてはツイッターはじめパソコン、テレビなどで連日のように伝えられているので、ここでは改めて触れないことにする。地震も津波も恐ろしいが、それには時間が経てば必ず終止符がある。僕が書きたいことは、その後のドラマだ。僕に限らずシナリオライターにしても作家にしても作品を書く目的は同じで、自分が体験した感動的なこと、怒りや喜びについて一人でも多くの人に知ってもらうために伝えたい、訴えたいからだ。“ガンダム”にしろ“名探偵ホームズ”にしろ、サスペンスドラマ、時代劇ともに同じだが、「こんな素晴らしい生き方があるんだ。こんな素敵な愛があるんだ。人間としてこおゆう生き方はして欲しくない」といった僕の思いを作品に込め、一人でも多くの人に受け止めてもらいたいから書いてきた。また、作品に登場する人物達も、僕が今迄に出会った人や見てきた人、印象に残った人達の投影である。

 残念ながら、今回の地震後の状況について僕は現地に取材に行った訳ではない。ニュースソースはテレビのインタビュー取材番組である。でも、それぞれの現場でのナマの声である限り、作られたものや演出された映像ではないと思う。それらの中から二つのテーマにしぼりピックアップした。

 一つ目のテーマは“思い込み”。都会での“買い占め”である。(被災地近辺でもあったかもしれない)。確かに東京でも震度5強を体験し、その後も続く余震に不安を感じていることも確かだが、被害、物資ともに問題はない。なのに地震の翌日からスーパーやコンビニの店内から次々と商品が消え、アッと言う間に開店休業の状態になった。詰めかけた客が先を争って買い占めたからだという。数日後、僕も消費したトイレットペーパー一つ買うのに十数軒の店を探し回り、やっと手に入れることができた始末。

 中には被災地に住む親兄弟や親戚に送るために買い集めた人もいるかもしれない。それなら納得できるが、「東京でも大地震がくるかも」とか「当分商品が無くなる」などの思い込みや風評に惑わされて買い占めた人達もかなり多かったという。マイクを向けられた主婦の中には「主人が納豆が好きだから無くならないうちに」とか「子供が小さいので紙おむつが無くなったら大変」などと答えていた人もかなり見られた。被災地では好物を求める前にその日その日の食べ物が無いのだし、電気も水道もある東京なのだから紙おむつでなく布おむつを洗濯して使うくらいの努力をしてもいいのではないかとおもう。

 もちろん、都会の人全てが買い占めをしたわけではないだろうが、店という店から商品が消えた以上、かなり多くの人達が買い占めたことは事実だと思う。一方で、リストラや倒産など経済状態が不安定の中で、人のことを思いやる心のゆとりなどない、という状況も確かである。

 人間は、辛いことや苦しいことを実際に体験しないと人の心の苦しみを真に理解することは出来ないものだ。その証と言えるかどうかは別として、十六年前に起きた阪神淡路大震災からやっと復興にこぎ着けたばかりの被災者の有志が、その経験を活かして今回の被災地にボランティアとして協力を申し出たというニュースは心温まるエピソードである。