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 劇場版映画はもちろん、テレビ番組の場合でもキャスト、スタッフの名前は必ずタイトルされる。形式はオープニングの場合とエンディングの場合、或いはキャストがオープニングでスタッフがエンディングなどさまざまと言える。そして、テレビ番組の場合にはテレビ局の担当プロデューサー(通称局プロと呼ばれる)と制作会社の担当プロデューサーが名前を連ねる。僕たちシナリオライターが制作会社のプロデューサーと仕事をするようになって久しい。テレビ局が各制作会社に番組制作の下請けを発注するようになって以来だ。

 テレビ創成期からしばらくの間、番組の制作会社という存在は無かった。ドラマはテレビ局のスタジオを使用しての“ナマ放送”だったし、ニュースやスポーツ、ドキュメンタリーなどの番組もテレビ局にそれぞれの部門があり、担当プロデューサー達が製作していたからだ。フィルムで撮影できる番組ならば編集によって調整できるからいいが、ナマで放送するドラマの場合は大変な作業だったといえる。放送開始から終了までどんなミスも許されない。その頃、もちろん僕はまだシナリオに関わっていなかったが、戦場のような現場は大いに想像ができる。

 制作会社、特にテレビ映画の制作会社が出始めたのはいわゆる映画産業、邦画の衰退が進みはじめた頃からである。映画が唯一の娯楽だった時代からテレビ全盛期に変わり、劇場用映画に莫大な製作費を費やしても採算が合わなくなってきたから。長年の技術とスッタフをテレビ映画製作に方向転換したのだ。さらに、映画作りに使用回数の減った広大なスタジオを貸しスタジオとして利用することにもなった。これを機に、映画会社を辞めたプロデューサーや技術者達が独立して新しい制作会社を創設し、その数はさらに増加していった。

 こうした状況下、各テレビ映画製作会社、独立プロダクションの競争は必然的に激しくなる。他社より少しでも多くの番組の制作を勝ち取りたいからだ。そのために欠かせないのが、番組の企画書ということになる。少しでも良い、面白い、視聴率の取れそうな番組を企画して、テレビ局に売り込むためである。時にはテレビ局のプロデューサーが企画した番組を制作会社に発注することもあるが、ほとんどの場合はその逆である。一方で、テレビ局が抱える放送可能な時間枠は無限ではなくげんどがある。

 例えば、視聴率を誇る長寿番組の時間帯にはそれが続く限り他社の入り込む余地はない。可能なのは春と秋の番組切り替え時に替わるもの。或いは単発2時間枠のサスペンスものということになる。それも、視聴率がよくてシリーズ化されたりすると、更に入り込む余地は少なくなっていく。だから、制作会社のプロデューサー達は企画書作りに必死なのだ。そしてその作業を託されるのが、僕たちシナリオライター(とくに新人の頃は頻繁)である。

 その頃僕は、いろんな仕事の関係から紹介されるプロデューサーの数の増えていった。当然のように始めからシナリオを書かせてもらえるわけではなく、企画書作りばかり続いていた(実写番組の)。ある時は原作をドラマ化するため、ある時はオリジナルの1話完結連続ドラマとさまざまだった。でもなかなか決まらず、10本、いや20本に1本決まれば御の字とまで言われたが、必死になって書き続けた。そしてある時、やっと1本が実現することになった。作品は“青葉繁れる”(井上ひさし原作)である。1話1時間枠で6話完結。僕が企画書を依頼された時、企画書が通ればシナリオも書かせて貰える話になっていたのだが、実際に脚本を担当することになったのは名の売れたベテランの人だったのである。「スポンサーの指名だから了承して欲しい」がプロデューサーの説明だった。

 まだ新人で知名度等も無い僕だったが、せめて1話分でも書かせて欲しかったというのが僕の本音である。でも、プロデューサーを恨む気持ちになれなかったのも確かである。“紹介された相手に期待し、責任を転化するのは間違い”と前回書いたのは、この時のことである。「敵を知り、己を知ることこそ百戦危うからず」(孫子の兵法)を、この時自分に言い聞かせた。
自分の立場、力をわきまえるということである。