meijido_logo2b.png

title_column_araki.png

0013

 “機動戦士ガンダム”第1回スタッフ会議が行われたのは、その年の10月も終わりに近い頃だったと思う。当時のテレビ界では、アニメーション、実写ドラマに限らず、新番組のスタートは毎年4月と10月の2回に決まっていた。1クール(13回、3か月分)をセットとし、視聴率が良ければ更に1クール延長して6カ月放送するというシステムだ。  

 ただ、このサイクルは主に実写ドラマの場合で、アニメーション番組の場合はスタート時点で2クール、つまり半年か1年単位で契約されていた。俳優が演じるドラマを撮影する実写に比べ、莫大な絵を必要とするアニメーションは撮影に時間が掛かるため、放映を開始してからの視聴率如何で簡単に本数を延長することが不可能だったからだ。逆に、視聴率が悪いからという理由で、1年だった契約を10カ月で打ち切るということはよく行われた。ファーストガンダム(FG)も、当初そうした憂き目を見た番組の一つだった。

 スタッフ会議は西武新宿線上井草にあるサンライズ本社の一室で行われた。上井草には同社のスタジオが確か5カ所あり、サンライズ村の異名をとっていたが、当初僕はそのことを知らなかった。5カ所のスタジオでは、それぞれ違う番組の製作が行われていた。
 参加した顔ぶれは、同社山浦プロデューサー以下、総監督(CD)の富野喜幸氏、キャラクターデザインの安彦氏、メカデザイン担当の大河原氏、ライターグループでは星山博之君(企画から参加のチーフ・ライター)、山本優君、松崎健一君に僕の4人だった。

 “ガンダム”の企画書(物語の設定、時代背景、主要登場人物、第1話のストーリー概要などが紹介されている)に加え、主要登場人物のキャラクター画、スタート時に登場するロボット等メカデザイン画などの印刷物が配られ、富野氏から作品の世界観、ストーリー展開の概要などが説明された。この番組が翌年4月からの新番組としてスタートされることを踏まえての、この年10月の制作会議だった。
 余談になるが、この作品の企画段階でのタイトルは“機動戦士ガンボーイ”だったという。それが改案に改案を重ねて“ガンダム”に決定されたのだ。僕達が企画書を渡された時は既に“ガンダム”となっていた。何故最初“ガンボーイ”だったのか理由は分からないが、主人公アムロが少年であることから、“銃(ガン)”を使う少年(ボーイ)としたのかもしれない。それを聞いた時、他のライターも「え?ガンボーイ??」と、不満げな声をもらしたのを思い出す。いずれにしても、僕の印象からいうと“ガンダム”の方がドシリと安定感を感じ、発音した響きも悪くないと思ったことは確かだった。

 第1回目のシナリオの分担は、企画から参加され作品の世界観を把握している星山君が第1話を、2話が山本君、3話が僕、4話を松崎君が担当することに(順位に特別な意図はない)決まった。予定として、4人がそれぞれ第1稿を書き上げ、1週間から10日後に持ち寄ることになった。
 第2回目の会議は、確か10日目だったと記憶している。まず、持ち寄られた4人の第1稿をCD(チーフディレクター)の富野氏を交えた5人で回し読みすることから始められた。
 その結果、作品の世界観、主要登場人物の描き方に取り違えや誤りがないか、各話の繋げ方に違和感がないか、シナリオとしての不備な点がないかなど、細部に渡って話し合いが行われ、各自各様に書き直し、書き加える部分を確認し合った。

 こうした作品作りに初めて参加した僕は、その時の得体の知れぬ興奮と、番組の今後の進展への期待が大きく膨らんだことを今でも思いだす。それは、“ガンダム”が約1年間を通しての、NHK流に言えば“連続大河ドラマ”だったからだ。
 一般的には、“ひみつのアッコちゃん”、“ギャートルズ”、“新巨人の星”ともに、一話完結の連続番組が多い。従って参加するライターも8人から10人と多く、横の連携はほとんどない。それらに比べて“ガンダム”は、最後迄4人連携を取りながら回転させていくのだから、本当に恵まれた出会いだったといえよう。