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 僕が“機動戦士ガンダム”という作品の仕事に関わることになったのは1970年代の終わり。それが 30年以上も経った今日なお、日本全国で話題が沸騰しているという現象は、ただただ驚くばかりだし、もちろん凄く嬉しいというのが本音でもある。当時、この作品に関係したスタッフはじめ、誰がこのことを想像できただろうか。何故なら、放映を開始したものの視聴率は芳しくなく、その上後半に入るのを待たずして、視聴率は遂に下りはじめてしまったからである。
 制作進行の中で、ストーリー作りに工夫をこらしたりいろいろ検討を重ねたが、なかなか難しい問題であり、結果として企画段階で設定されていた全放映話数(確か52話だったと思う)より8~9本少ない形で中途打ち切りになることが決定されてしまったのだ。原因として考えられたことは、内容的に考えて少しハイレベル過ぎたかなということ。

 当初この番組は、名古屋CBC放送をキー局として、夕方の5時半からの30分枠で放映された。幼児、小学生が観る時間帯だ。スポンサー(バンダイ)が売り出したロボット達のプラモデルは、それ以前のロボット(鉄腕アトムや鉄人28号)と異なり斬新でカッコイイと子供達に人気が高まり、それなりに受け入れられたようだ。でも、ストーリー的には単なる勧善懲悪でなく、敵も味方も登場する人物達にそれぞれの生き方、人生があり、怒りや愛はもちろん、悩んだり苦しんだりするのだ。小学生以下の子供達には、受け入れられにくいかもしれない。

 “機動戦士ガンダム”が再放映されることになったのは、初放映から2年以上経ってからだと思う。放映時間は深夜。高校生や大学生が好んで観る時間帯だという。いわゆる“マニア”という言葉が言われはじめたのも、この頃からだったように記憶している。実を言うと、恥ずかしながら再放映が開始されたことを、僕は知らなかった。
 「ガンダムの再放映観てます。凄く楽しみなんです」と、近所の高校生から声を掛けられて、再放映で話題になっていることを初めて知ったのだ。彼は当時僕の家族が住んでいた家から三軒離れた家の高校生で、中学生になったばかりの弟と二人兄弟だった。何故僕が “ガンダム”を書いていたことを知っているのか一瞬わからなかったが、考えてみたら、その弟が小学生だった頃、僕がスポンサーやらサンライズ(制作会社)から頂いたガンダムのプラモデルをあげたことがあったからだと気がついた。とにかく、この再放送をキッカケに“機動戦士ガンダム”が世に広まることになったことは確かといえる。

 この作品は、ある意味で僕がシナリオライターとして始動するデビュー作になったと言っても過言ではないだろう。何故なら、企画としてスタートする作品のスタッフに、始めからライターとして参加することになったからである。
 それまでは、“ひみつのアッコちゃん”にしろ、“はじめ人間ギャートルズ”、“遠山の金さん”、“特捜隊”、サンライズ社の“無敵鋼人ザンボット3”と、いずれも全て放映が開始されていての途中参加だったから。もちろんこの後、企画段階からの参加作品はいろいろある。
 その中でも、真の意味での僕のデビュー作となった“機動戦士ガンダム”には、いろいろな出会い、思い出が沢山込められている。それらのエピソードについては、今後回を重ねるごとに機を見ながら紹介していくことにしよう。