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 故中井義プロデューサーは、おそらく日本では数少ない実力と権力を備えたプロデューサーの一人といえるだろう。日本の場合、悪い意味でなくテレビ界、映画界共にプロデューサーは会社の一社員、つまりサラリーマンである。だからどんな作品を作る場合でも、企画の段階から会社の意向というのが大前提になる。営業的にも作品的にも多くの人達の考え方、意見を取り入れなければならないことになる。
 外国の場合は、特に映画界でのプロデューサーの存在は非常に大きい。なぜなら、製作費そのもの、つまり総資金を集められるだけの実力を持っているから。従って自分が全力を注いで製作したい作品を企画するし、その実現のためには出演者、脚本家、監督共にこの人材でなければならないと、ワンマン的な権力を持っている。会社の社員ではないのだ。

 とはいえ、日本の映画も過去現在を問わず優れた作品は数多くある。黒沢明監督の名作“羅生門”の昔に始まり、さまざまな作品がアカデミー賞を受賞しているし、最近では他の種々の賞を受賞する作品が増え、まさにグローバル化しているといえよう。それは日本映画界の衰退と逆に、独立プロや○○映画製作委員会など、自分達で資金集めからして実現しようとする“意欲”の結果といえるかもしれない。

 日本に限らずテレビ界の場合、その存在は番組の提供者、いわゆるスポンサーの後ろ盾に支えられて(NHKを除く)いる。スポンサーがOKしない場合は成り立たない。
 視聴率というものが威厳を放ち、コマーシャル競争が激化する。従ってテレビ界(民放)ではスポンサーを集める営業部門が一番の権力者的存在といえる。
 故中井義プロデューサーは、長期に渡って番組のスポンサーを掌握できる人だった。営業部も顔負けだった。テレビ局の社員には違いなかったが、一匹狼的な存在だったといえよう。出演者、脚本家、監督に到るまで、中井氏にはピリピリしていた。気に入らなければ切られてしまうから。“特別機動捜査隊”や次作の“特捜最前線”(二谷英明主演)が優れた作品であるかは別として、中井氏はそれを一人で取り仕切ったプロデューサーといっても過言ではない。

 番組とスポンサーの切っても切れない関係は、視聴率の高い低いだけには限らない。作品に使用する小道具にも大きく影響する。例えば“刑事もの”といわれるジャンルについて言うと、もしスポンサーが自動車メーカーだとすると、犯人が乗る車は日本製であってはいけないのだ。絶対に“外車”でなければならない。さらに、同じ日本の自動車メーカーでは、ライバル社は絶対に同じ番組のスポンサー(業界用語では相乗りという)にはなってくれない。従って営業マンは違う業種のスポンサーを集めて相乗りしてもらうことになる。
 時代劇の場合にもある。スポンサーが製薬会社だったとしたら、殺人の手法には絶対に毒薬を使用することは許されない。さらに人権問題が問われるようになってからは、“町医者”、“小僧”、“木葉役人”、“坊主”と言ったいわゆる台詞での使用禁止言葉が決められ、それらを集めた小冊子が脚本家に配られる。放映される番組をただ面白い、つまらないで見ている裏側には、さまざまな制限、制約があるのだ。

 故中井氏と僕は、関わった作品数は多くはないが、一度、年配のライターが書いた本の直しを田中監督を通して僕が依頼されたことがあった。僕は人様の本をと、おこがましく思ったのだが、中井氏は今は書けなくなった年輩のライターの本を古く長い付き合いから直しても使ってやりたいという、人情味も備えた人だった。