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 余談になるが、その当時の東京ムービー社は杉並区成田東にあった。地下鉄丸ノ内線南阿佐ケ谷駅を地上に出た所が青梅街道。そこから善福寺川の方に下るとかなり広い敷地を要した都営住宅があり、その一画に同社があった。
 僕はそれまで新宿成子坂近くのアパートに住んでいたが、娘が生まれたのを機に阿佐谷に引っ越して来て1年目。歩いても行ける東京ムービー社の仕事(ギャートルズ)と関わることになった。そして“新巨人の星”。その時娘は3歳で、僕は原稿が出来上がると、娘を自転車の前籠に乗せて東京ムービー社に届けに行ったものだ。当時同社にいた事務の女性(40代、体が弱く数年後他界)が、子供がいないことから娘を凄く可愛がってくれ、行くたびにマンガの本とかオモチャ等をくれるので、幼い娘もなついていたのを思いだす。

 当時、まだアニメ界に参加するようになって日の浅かった僕は、杉並に多くのアニメ制作会社があることを知らなかった。考えてみれば、このあとスタッフに加わることになるサンライズ社も西武新宿線の上井草にあり、他にもマッドハウス社など数社が存在していた。
 今でこそその数は減少したかもしれないが、それでも“アニメの街杉並”として、区をあげてPRしている。杉並アニメ会館があり、上映会、作画の体験会、講演など、年間を通していろいろなイベントを企画・実施している。

 アニメーションに対して、役者が出演するドラマ、あるいはテレビ映画のことを、業界用語で“実写”と言う。その当時僕はアニメ以外に実写の仕事もしていて、その一つに“特別機動捜査隊”という、いわゆる刑事ドラマ(東映製作、故中井義プロデューサー)の脚本も何本か手掛けた。立石主任刑事(青木義朗)率いる“立石班”が活躍する、パトカーを駆使したアクション映画だ。その頃の超人気ドラマ“太陽にほえろ” (石原裕次郎主演)の派手さに比べたら、製作費、アクション共に足元にも及ばないが、立石班のチームワークがかなりの固定ファンに人気があり、当時の東映のドル箱番組として200回を越える長寿番組となっていた。ちなみに、立石主任のネーミングだが、この番組のスポンサー日立グループの“立”と、日本石油の“石”を組み合わせて決めたそうだ。“立”が先にくるのには、何か意味があったのだろうか……?

 それはともかく、僕が初めて書いた刑事物は、大学時代の“警視庁鑑識科学シリーズ”だった。その時のメインライターが警視庁の鑑識課員2名だったのだが、それには訳があった。当時、東映が製作して人気を呼び10本以上のシリーズになった劇場映画“警視庁物語”(堀雄二主演)のシナリオを書いていたのが、警視庁鑑識課員だった長谷川公之氏だったことにある。「後に続け」「彼に続け」と、プロのシナリオライターを目指して意気込んでいたのが、例の鑑識課員の2人だったのだ。結果から言うと、2人ともプロになれなかったのだが、やはり鑑識のプロ、なかなかいいアイデアでシナリオを書いていた。いつか機会があれば、また一緒に仕事をしたい人達だった。
 僕は“警視庁物語”が好きで、シリーズの全てを見ていた。特にメンバーの一員である芦田伸介、藤原釜足が演じる渋味のある刑事が好きだった。

 という訳で、“特別機動捜査隊”の仕事には力が入った。何故なら、このシリーズはメンバーの刑事達が地道に捜査を進め、犯人を追いつめるという、地味なストーリーが多かったからだ。
 そこで考えたのが、若い犯人が何が何でも逃げ切ろうとする、このシリーズでは今までになかったラストシーンにしたいという思いだった。結果、予算のことも何も考えずに、刑事達のパトカーと逃げる犯人との派手なカーチェイスになったのだ。
 故中井義プロデューサーには渋い顔をされた。実はこのプロデューサーは軍人あがりの骨太な人で、背中に青竜刀の傷痕(中国で負傷)があるという強者なのだ。でも、監督(田中英夫)も役者も乗ってくれたとかで、原っぱをパトカーが駆け回る派手なシーンが撮りあがったと監督から言われ、必要以上に興奮したことを思いだす。