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 大学を中退してから再び“シナリオ”と出合うまでに、8年間のブランクがあった。家庭の事情もあり、出版社で編集の仕事に携わっていたからだ。そして、シナリオ作家協会研修課のゼミで直居欽哉氏と出合ったのが28歳の時だった。

 前にも書いたが、初めてプロのライターの手伝いをした作品が、日本仁侠伝シリーズの“国定忠治”(1時間5話連続)だった。ここで特に書いておきたいのは、忠治を演じた俳優三國連太郎氏の凄さである。
 今の人達の知る氏のイメージは、“釣りバカ日誌”シリーズのスーさん、社長役かもしれないが、それ以前、数多くの話題作、問題作を残してきた氏の役者魂は半端じゃないと思う。“国定忠治”もしかりで、今だから言えるが、予算も時間も全く眼中にない氏の作品に賭ける情熱は、担当プロデューサーを辟易させて余りあるものだった。

 当時僕は直居先生の家に泊まり込みで一緒に作業していたのだが、夜中の1時だろうが2時だろうが、買い込んだ資料本を沢山抱えた三國氏が、作品へのアイディアを携えて訪ねて来るのだ。
 当然作業は中断され、氏は延々とアイディアを語り、気がついたら夜が明けていたことも何回かあった。ある時、先生が急用で出かけたと偽り、僕一人で応対させられたことがあった。三國氏はなかなか引き揚げる様子がなく、僕が心細くなりかけた時(2時間位経過)、玄関がガラッと開いて先生が恐縮顔で姿を現してくれ、心底ホッとしたのだが、実は見かねた先生が服と靴を手に屋根から抜け出し、さも外出から帰ったように玄関から入って来たのだと、後で聞かされてクスリ。

 でもこの経験は、シナリオという仕事の厳しさ、難しさをイヤという程僕に植えつけてくれた貴重な出来事だったといえる。この番組を製作したのはNET(日本教育テレビ、現在のテレビ朝日)で、担当プロデューサーはY氏とO氏の2人。その時の僕の作業振りを見てか、若いO氏が僕を東映動画に紹介してくれたのだ。
 前にも書いた宮沢賢治の熱烈なファン、故横山賢二プロデューサーである。劇場版長編アニメを含め多くの名作を手掛けてきた名物プロデューサーで、中でも“ひみつのアッコちゃん”は最長寿番組だった。
 ライター陣も故鈴木三千夫氏、雪室俊一氏はじめアニメ界では超一流のメンバーだったので、シリーズ後半から参加した僕は正直緊張と不安の連続だった。1本目、初めて書いた作品は太宰治の短編名作“走れメロス”のテーマを土台にした友情話“友達のネックレス” だった。確か3回ほど書き直しされて、やっと決定稿になったと記憶している。

 続いてテニスに憧れる少女とアッコちゃんの出会いを書いた“白いラケットに誓おう”が2本目だが、3本目でえらいハプニングが起きた。
 昔から言い伝えられてきた「月には兎がいる」というお伽話を題材に、アッコちゃんの友達の大将と少将が、月で兎達を部下に君臨するという話“お月さまのドリームランド”を書いたのだが、そのフィルムが完成した直後、アポロ13号が月に着陸したというニュースが報道されたのだ。例えお伽話にしろ、現実に人が月に降り立った以上、“月と兎”の話はオクラ(お蔵入り、ボツ)となることに。もっとも、かなり回数を重ねた後、アッコちゃんの夢というオチをつけることで放映はされたものの、僕としてはスッキリしない後味の悪い経験となった。

 余談になるが、これを書くにあたり、作品名をネットで検索したところ、脚本、演出の名前に多くの間違いがあることに気がついた。書いてない作品に僕の名前があり、その逆もかなりあったのだ。
 今は何でもネットで検索して情報を得る時代だけに、この実状には驚いた。