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 大森高校の“放送同好会”に大きな変化が訪れたのは、僕が3年に進学した春だった。同好会から“部”に昇格し、額はともかく“部”としての活動費が学校から支給されることになったのだ。前年秋の放送劇コンクールで3位を受賞した実績が認められたからという。すでに卒業していた、僕に跡継ぎを頼んだ先輩も喜び、放課後の大森高校に駆けつけてくれ、祝盃ならぬ祝茶で乾杯、大いに盛り上がった。その“自惚れ”が頭をもたげ、今度は自分で脚本を書いてみようと決意したのが、この時だった。

 今度は僕が大学受験の番。日本大学芸術学部映画学科演出コース。迷わず進学先をそう決めた。それから数年後にはシナリオ研究所やシナリオ教室など、脚本を学べる場所がいろいろできたが、その頃は他に無かったから。こうして“シナリオ・ライター”という先の見えない道に踏み出したものの、行く手は遠かった。

 大先輩である直居欽哉氏に師事しての最初の手伝い仕事は、“日本仁侠伝シリーズ・国定忠治”(三国連太郎主演、全5話。東映)というテレビ作品。その時のプロデューサーに紹介されたのが東映動画の横山賢二プロデューサーで、“ひみつのアッコちゃん”シリーズのライター・グループに加えてもらうことに。この横山氏、出身が宮城県の上に名前もケンジというので宮沢賢治の大のファン。次いで“ギャートルズ”(東京ムービー)、“無敵鋼人ザンボット3”(サンライズ)等を経て、あの“機動戦士ガンダム”と出会うことになったのだが、何とこの時すでに大学時代から20年近い月日が流れていた。“ガンダム”では驚きやときめき、新しい発見などいろいろ体験したが、詳しいことは後の回で折りに触れて紹介していくことにする。“ガンダム”のCD(チーフ・ディレクター)富野喜幸氏との出会いは“ザンボット3”からで、その後も“ダイターン3”(企画段階から参加)、“ザブングル”、故佐々木勝利CDの“トライダーG7”、“ダイオージャ”(以上サンライズ作品)、“新エースをねらえ”、“新巨人の星”、“名探偵ホームズ”(宮崎駿CD、以上東京ムービー作品)の他、各社のテレビシリーズに参加した。

 アニメーションに対して俳優が出演するドラマの事を“実写”と業界では呼ぶが、アニメに較べて少ないものの、“遠山の金さん”、“関八州御用旅”(西郷輝彦主演)、“特別機動捜査隊”(以上東映)、“河内山宗俊”(松竹)、“月曜女のサスペンス”(テレビ東京)、“父と娘七色の絆”(ユニオン)なども手掛けた。珍談、奇談などのエピソードについては、順を追って書くことにする。

 次回では大学時代の失敗談、デビューへの回り道などに触れてみる。