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 文章を書くのが苦手だった僕がシナリオ・ライターを目指すキッカケになったのは、高校2年の時のある出来事でした。都立大森高校に入学した僕は、1学期の終わり頃文学部に入部しました。文学は好きでしたが、実はそれより、ちょっと気になる女のコが居たから、というのが本音かな。

 それはともかく、2年に進学した春――。「放送同好会を引き継いでくれないかな」突如、3年生の先輩から頼まれたのです。「大学受験を控えて自分が続けられないので、ぜひ」という理由でした。興味はあったし、好奇心も頭をもたげ、2日考えた末、受けることにしました。“部”でなく“同好会”ですから、学校から活動のための予算は出ません。しかも会員ときたら、アマチュア・ハム無線が趣味のムクつけき男子生徒ばかり。(失礼)活動も、運動会や式典の時の音楽、マイクなど技術担当ぐらいでした。僕が引き受けたからにはと力んで考えたのが、昼休みの校内放送でした。アナウンス担当の女子生徒が二人居ましたので、交代でちょっとした解説を語ってもらい、音楽を流したのです。後に流行る“ディスク・ジョッキー”のよなもので、その台本?を僕が書きました。教室で昼食をとる生徒たちに少しずつ受け入れられ、いつか好評につながりました。これが“小さな自惚れ”の始まりです。

 「このままでは淋しい、何か残したい」2年の時の2学期、僕は、当時毎年秋に行われていた都立高校対象の放送劇コンクール(東京都立高等学校連盟主催)に目をつけました。同好会に役者はいないので、急遽演劇部に頼み込み、男女二人に無理やり引き受けてもらうことに成功。作品は、学校放送劇作品集から“おもん・藤太”に決めました。僕が演出?を担当し、短い日時で猛練習を始めたのです。コンクールですから、録音による持ち込みは厳禁。出演者、効果・擬音係一体となって必死でした。出場校は、確か27、8校。審査委員は、当時NHKラジオ・ドラマの第一人者、臼井正明氏と水木蘭子さん。結果、なんと第3位を受賞したのです。その上ずうずうしくも、コンクール終了後、二人の審査委員を僕の高校まで誘ってしまったのです。二人は快く同意され、感想まで聞かせて下さいました。受賞の賞状と楯は翌日の朝礼時、全校生の前で学校長から渡されました。

 この後、放送同好会に変化が起きるのですが、それは次回に書くことにします。