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 “機動戦士ガンダム”の初回シリーズ(通称F・G=ファースト・ガンダム 富野喜幸総監督)はじめ、“名探偵ホームズ”(宮崎駿総監督)シリーズの脚本を担当した(共作)シナリオ・ライターの荒木です。

 思えば、数多くのTVアニメーションのシナリオに関わってきましたが、なぜ僕が“シナリオ”という仕事を選んだのか――。多くの作品との思い出とともに、振り返ってみることにしました。

 僕は、小学生の頃から映画やお芝居、ドラマ(当時テレビは無くラジオドラマでした)が大好きでした。中学、高校の頃は映画が娯楽の主流で、どこの映画館も二本立てで興行していたものです。東映の時代劇全盛期で、市川歌右衛門主役の旗本退屈男、片岡千恵蔵主演の遠山の金さんなどの娯楽作品、洋画ではジョン・ウェイン主演の“駅馬車”はじめ、多くの西部劇が次々封切られました。
 高校時代、お正月などにはお年玉を手に朝から映画館に出かけ、二本立てを二軒ハシゴ(約7時間余り)し、フラフラになって家に帰り、父親からえらく怒られたことが何度かあったものです。

 小学生時代には、授業の一環として時々映画鑑賞がありました。映画は娯楽ものではなく、山村の子供たちを描いた“山びこ学校”など、いわゆる文芸作品です。そして映画館から教室に戻ると、必ず感想文を書かされるのです。配られた1枚の原稿用紙に感想を書き、足りない人は何枚でも好きに取りに行けます。一人、何を書いているのか、やたらと原稿用紙を貰いに行く生徒がいました。クラス一番の優等生です。僕は何やら腹が立ち、感想文の時間が嫌いになりました。実は、文章を書くのが大の苦手だったのです。もちろん、大好きな映画はしっかり観に行きました。そこで考えたのが、脱出!です。席は前から背の低い順でしたから、背の高かった僕は最後列、それもドア側。思ったよりコッソリ教室から抜け出せました。ちょっとスリルもありました。でも、先生も“さるものひっかくもの”。すぐに見つかり、廊下に立たされたことも数回――。

 そんな僕が、どうして原稿用紙と切っても切れないシナリオ・ライターを目指したのか。ささやかな“うぬぼれ”から始まるのですが、それは次回に書くことにします。

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脚本家:荒木 芳久
本コラムは、初代ガンダ
脚本家"荒木 芳久"が40年を
振り返る自伝です。生い立ち
から、脚本を目指したきっか
け、現場でのリアルな話、失
敗談、全80回の週間連載
お楽しみください。